〇基本的な考え方
研究ができる理科教員の育成を基本的な方針としています。教育基本法第九条には「法律に定める学校の教員は,自己の崇高な使命を深く自覚し,絶えず研究と修養に励み,その職責の遂行に努めなければならない。」と定められています。果たして,教員養成課程で教員を目指す大学生は,「何のために卒業研究をするのか」と聞かれたら答えられるのでしょうか。研究的な視点をもって学校運営がなされていることに教育実習等で気づけているのでしょうか。高等学校では「理数探究」という科目が設定されているように,理科教育と研究(探究)は密接なつながりがあります。科学的手法・教育的手法の両面から,学校の研究を推進できる教員になれるよう,学部生の卒業研究の段階から学会発表,投稿論文の執筆を行っています。研究成果を広く公表し,社会に貢献するためです。
加えて,汎用性が高いことを求めています。初任校では「スタープレーヤー(の教員)はいらない」とよく言われました。特定の人しかできないことや,特殊な装置がないとできないことは,それらが何らかの要因で機能しなくなったら立ち行かなくなります。大学でしかできない研究を追及しつつ,学校現場との理論と実践の往還の必要性は今後も変わることはないでしょう。学校現場にとことん近い研究が目指すところです。
理科教育学の研究室ですから,必ず教員にならなければいけないのかというと,そうではありません。研究室の出身者が理科教育の視点を持ったチームとして,どのような立場であっても社会に貢献できればよいと考えています。「教員になりたいから京都教育大学に入学する」から一段深め,理科教育の研究を進め社会を豊かにすることを目指して「カメラボで研究がしたいから京都教育大学に入学する」という人が一人でも多く集ってほしいと願っています。
〇“人より少しオリジナルな理科教育”ができる背景
亀田の専門は理科教育学,ジオパーク,生物無機化学です。一見,バラバラすぎて何が専門なのかわかりません。しかし,自身が強みとするこれら3つのすき間を埋めていくように研究を進めてきた結果,人より少しオリジナルな理科教育に向かうことができています。
高校生の頃は日本史,化学,国語が得意で中学校社会科の先生になりたいと考えていました。ところが,その頃に石器発掘の捏造問題が発生したことから,人間が歴史として記録しているたかだが2000年くらいもよくわからず,嘘がまかり通ることを指導するのが自分のやりたいことなのかと思い直しました。もっと幅広く,ゆるぎない自然の摂理を学び,伝える先生になりたいと一念発起し,理科教員を目指すことになります。
大学では故 平竹潤先生のおかげで有機化学の面白さに目覚め,卒業研究では向井浩先生の元で錯体化学に関することをテーマにしました。当時,あまり意識していませんでしたが,このあたりから複合領域に関わり始めます。卒業研究をきっかけに,大学院修士課程では生物無機化学に関してNH…S水素結合を有する酵素活性部位のモデル錯体をテーマとしました。岡村高明先生から,NH…S水素結合は世界でも3つの研究室くらいしか取り扱っていないという説明を受け,オリジナリティの塊に触れることにわくわくしました。
大学院修士課程終了後,中学校理科教員になりました。研究ベースな視点が身についていたおかげか,化学分野では報文を執筆することができました。一方,地学の指導がどうもうまくいかないことに悩みました。そんな時に出会ったのがジオパークです。教科書の写真にある玄武洞を生で,かつ解説付きで見た時にとても興奮しました。教科書ではなく,身近に見られるものでないと本物の学びにならないと考え,勤務校の近くの断層やボーリング資料を次々に教材化し,教員研修会で紹介・議論しました。地学の地域教材が市レベルでもアーカイブされていないなどの課題があることが見えてきました。合わせて,地学が化学の視点で詳しく知れることにも気づき,マグマを吸水性高分子と金属イオンでモデル化するアイデアはこの頃に生まれました。科目横断の視点で地学を見ることや,大学院での研究で身についた錯体モデルの視点で新しい教材を作ることは,これまでに取り組んできた先人が少なく,“人より少しオリジナル”だったのです。
高校では理数系学科に進学したある卒業生から「高校での研究がスムーズにできたのは,中学校で一から実験レポートづくりをしたおかげ」と言われました。普段から中高接続を念頭に置いた授業をしていたので,これは嬉しい評価でした。一方,高校から見た時に中学校での指導はどうつながるのかという理科教育的な視点に興味が広がり,高校教員に転身することにしました。そこでの赴任先が偶然にも玄武洞のある山陰海岸ジオパークエリアの高校だったのです。「地学」の教員採用が30年以上されていなかったため,赴任するなり「地学基礎担当できますか?」と不安がられましたが,むしろ願ったり叶ったりといった感じでした。また,近隣に大学院博士課程が新設されることになり,ジオパークを教育に活用することをテーマに第一期生として入学することにしました。ここで先山徹先生から文化地質学について学びました。歴史的な石材を科学的な側面から調査・分析するというものです。一度,自身がやめることにした歴史学が復活することになったのです。地形や地質と歴史を照らし合わせてみると,かつての人々は自然観を元に地形や地質をうまく利用していたことがわかります。それらは現代でも残っているのですが,自然観自体が失われつつあるために,自然事象が災害になってしまう場合があります。ジオパークでは教育で次世代に伝え,地域を持続可能なものへとする面もあります。当然,それには理科教育で身に付ける資質・能力が関わってきます。
次に転勤した高校では,理数科を担当することになりましたが,地学の授業は開講されていませんでした。しかし,地学系への進学を希望する生徒が複数いました。地学を専門とする教員がいたにも関わらず,カリキュラムがいっぱいで授業を入れることができないのです。生徒自身も普段の授業や部活動などで手いっぱいでした。また,研究熱心な理科教員が多く工夫した授業をされていたのですが,やりたい授業をするには時間が足りないという声をよく耳にしました。すなわち,生徒も教員もゆとりがなく,創造的な活動をする素地があるのに活かされないのです。ゆとりがないのは中学校の内容を再度高校でやり直している側面もあります。高校入試を経ているにもかかわらず,中学校での既習事項が定着していないことも散見されました。中学校と高校の両方の指導経験があったことも含め,教育課程に課題があるのではないかという疑問にたどりついたのです。
校種をまたいだ教育課程の研究をするには大学が適しています。こうしてすき間を埋めていくことで,学校現場にかなり近いところの”人より少しオリジナルな理科教育”を追究していきたいと考えています。